タイトル 深江稲荷神社
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深江稲荷神社
深江稲荷神社






【御祭神】

  宇迦之御魂神 
  下照姫命
  猿田彦命 
  月読命 
  笠縫祖神


【由緒】

 当社の創建年代は垂仁天皇の御代、笠縫氏の祖が摂津国東生郡笠縫島の宮浦の地(今の深江南三丁目の地)に居を定め、下照姫命を奉
祀したのを始めとし、その後元明天皇和銅年間に山城国稲荷神社の御分霊を勧請したと伝えられています。

 慶長八年豊臣秀頼が片桐市正、加藤左馬介に命じ、社殿を改築しましたが、慶長十九年に兵火により消失、その後、宝暦十年に本殿及
び絵馬堂を再興し、寛政八年に本殿・拝殿に修理を加え、同時に石鳥居を再建し、明治五年に村社に列せられました。
昭和四十七年には、大阪府史跡「摂津笠縫邑」に指定され、平成三年、神社本庁モデル神社の指定を受けると共に、本殿・拝殿・社務所
等が改築されました。

 境内には笠縫部の祖を奉祀する笠縫社があります。笠縫氏は世々大和笠縫邑に住み、皇祖の御鏡を守護していました。垂仁天皇の御代、
その一族は浪速の入江、片江、深江の島(笠縫島)に移り住み、世々菅笠を作るを生業とし、伊勢神宮式年遷宮の行われる毎に御神宝の
菅御笠・菅御翳を調進したそうです。

 又、歴代天皇御即位式の大嘗祭に用いられる御菅蓋も深江より調進されました。菅笠は古くは専ら貴顕の用に供されたものですが、近
世に至り、一般人の旅行用あるいは作業に用いられ、伊勢参宮などには必ず携帯する習慣となったことは『摂津名所図会』に記されてい
ます。同じく境内の御饌津社は霊亀元年伊勢外宮より豊受御饌津神の御分霊を移し、奉祀せるものであります。


【深江と菅笠】

 大阪はなれて早や玉造
   笠を買うなら 深江が名所
     ヤートコセ、ヨーイヤナー      (伊勢音頭より)

 縫いつたる こゝろ深江の菅こがさ
   あめの下にぞ 名はみちにける  (千草中納言)

 押し照る浪速菅笠置き古るし
   後は誰か着ん 笠ならなしに        (万葉集)

 江戸時代には大阪玉造の二軒茶屋を起点として、伊勢音頭をうたいながら集団で参宮したそうですが、人々は道中安全を願って深江で
菅笠を買い求め、賑やかにでも不便な旅をしたそうです。

 昔、深江は良質の菅草が豊に自生する浪速の一島でしたが、第十一代 垂仁天皇の御代に、大和の笠縫邑より笠縫部が移住し、代々衣笠
を作り、笠縫島と呼ぶようになったそうです。

 以後、歴代天皇即位、大嘗祭の時は、天皇にさしかける御菅蓋(菅笠のこと)をはじめ、伊勢神宮式年遷宮に用いられる菅御笠、菅御
翳(さしは)等、菅御料は、すべて深江から献納しています。